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7年ぶりの再演となった室生犀星原作の「蜜のあわれ」。
しかしながら、7年前の公演には私は出演していない。
その理由は今となってはあいまいだが、ともかく7年前の公演では脚本・演出に徹することにしていた。

しかし、実はそれが幸いしたのだ。
その稽古期間中に私がある理由で抜き差しならない状態になり、
とてもじゃないが、舞台を作ってゆくような余裕がなくなってしまったのだ。
いったんは公演中止に決めたが、”演出が当日来なくても舞台は出来る”と考え直し翌日には撤回。
色々と行き違いもあったが、無事公演は実施できた。

それから3年後、いよいよ私が上山を演じる「蜜のあわれ」を企画。
キャスト・スタッフも決まり、さあ稽古開始だというところで日本中がコロナ禍に襲われ、あえなく公演中止に追い込まれてしまった。
こうして「蜜のあわれ」はLucy Projectにとって、なかなかいわくつきの作品となってしまったのだ。

ようやく4年後の今年になって再企画を行い、今回の公演までたどり着くことが出来た。
赤井赤子役の彩倉まりなは、4年前の赤井赤子役のひとりに決まっており(4年前はダブルキャストを予定)、満を持しての出演となった。
彼女にとっても「赤井赤子」は、思い入れの深い役柄となったことだろう。

さて、前置きが長くなったが、今回の作品の話をしたいと思う。
生きる事、死ぬ事、そして人を好きになる事は、一生のうちで誰もが体験することだ。
老域に達した室生犀星が描いた「蜜のあわれ」は、自らの死の足音を意識しながら、それでも生への欲望を描いた小説である。

しかし、残念ながら、この小説は中途半端な形で終わりを告げている。
幽霊である「田村ゆり子」が、作家・上山に会わずに立ち去るところで幕を閉じているのだ。
これは、私の想像ではあるが、室生犀星は「田村ゆり子」に実母の姿を映したのではないかと思う。
実は室生犀星は、実の母と育ての母がおり、生後まもなく養子に出されたため、生涯実母に会うことが出来なかったのだ。
それでも、室生犀星少年は、実際には会えなくても、実の母はきっと自分をどこかで見守ってくれているはずだと信じていたかったのではないだろうか。まるで、上山に会わずともずっと見守っているゆり子のように……。

そんな犀星少年の思いを理解しながらも、私はこの小説を舞台化するにあたり、この魅力的な登場人物たちのエンディングを描こうと決めた。
このままでは、彼らが浮かばれないと思ったからである。とはいえ、室生犀星の作り出した世界観を出来るだけ壊さないように心掛けた。
室生犀星師には、「この終わり方ならまあいいだろう」とOKを頂けると信じたいものである。

さて、最後に今回の舞台のエンディングの話をしておこう。上演後、色々な方から「最後はどういう意味なんですか?」と質問を受けた。私はいつものLucy Projectらしく、「ご自由に想像してください」と答えるのみである。まあ、ともかくみんなハッピーに終わったことは間違いないだろう。そういう意味では、いつものLucy Projectらしくない作品ではある(笑)。

Lucy Project代表 平本たかゆき